お侍様 小劇場 extra

     “寵猫抄”
 


          



 あらためて眺め回した冷蔵庫や冷凍庫には、高階夫人が様々な海鮮素材も用意しておいてくれてあったので。それらとパプリカやトマト、グリーンアスパラなどを下ごしらえすると、炒めた米とスープへ合わせ。ターメリックなりサフランなりを入れたいところだが、今日は微妙な顔触れも一緒なのであまり凝ったものにはしないで、これで完了と電子鍋のタイマーをセット。サラダへのレタスをちぎり、トマトやキュウリをスライスして。付け合わせは具だくさんのミネストローネにしようか、いやいや宵になれば冷え込むかもと思いが至り、小麦粉をバターで炒めて牛乳で延ばすと、タマネギ抜きのブロッコリーとニンジン、コーンとそれから小さめの茹でパスタを具材に、とろり濃厚なクリームスープを作っておいて、さて。

 “晩酌の肴は後でいいかな。”

 それでも…皮にアイスピックでところどこに穴を空けた若鷄のもも肉へ、ショウガ汁と酒と蜂蜜を合わせたものへ漬け込んで、塩コショウ…という下ごしらえをしておいてから。ようやっと、シンプルなエプロンを腰から外した七郎次。慣れぬ相手へきっと四苦八苦なさっておいでだろう、御主のところへ足を運ぶこととする。親類というものも少ないことから、ああまで小さい子供と接する機会は最近ではとんとなくなった勘兵衛であり。自分が二人きりにしたくせに、愚図られちゃあいなかろかと案じつつ、カーペットを敷かれた廊下が足音を吸うのをいいことに、そおっとそおっと歩みを進め、隣りの間にあたろうダイニングを戸口から首を伸ばして覗いて見やれば。

 「…。」

 窓辺のソファーにゆったりと腰掛けている姿が、金色に染まった黄昏間近い庭を背景に浮かび上がっており。ジャケットを脱いでの腕を枕にさせるよに、綿毛の和子を寝かせ半分の斜めに抱え、その口元へとマグカップをそろそろ傾けてやっているご様子で。結構な時間が経っているのに、まだ掛かっているの?…というよりも。本当に少しずつ少しずつ、むせたりせぬようにと根気よく与えてやっていた彼なのだろうことが偲ばれて、

 「んん? もう空だぞ?
  縁を舐めても出ては来ぬ。ほれ、傾けても出て来ぬだろうが。」

 お膝に抱えた小さな和子へと語りかけておいでの、低められたその声は。それは甘くて優しくて。輪郭を吐息へ溶け込ませるほどの、囁きのような静かな小声が、

 “うわ〜〜。///////”

 あああ、あれって閨で聞くお声と響きが同んなじじゃないですかと。妙なことへと気がついて、勝手に赤くなってる誰かさんだったりし。妙なことへと凍りついたものだから、気配が放たれてしまったものか、

 「…? いかがした?」
 「いえあのその。////////」

 何でもないですと、口許をむず痒そうにたわませつつ。見つかっては仕方がないと、ここからはすたすたとスリッパを鳴らして傍らまでの間合いを詰める。自分が脱いだ上着にて、勘兵衛がくるりとくるみ込んでやったらしい小さな和子は、さすがにもう空になったカップを、それでも匂いがするのでだろう、未練がましく小さな手を延ばしては自分で持ちたがっており。零すほどにさえ何にも入ってはおらぬぞと、抱え込むのも大変そうなほど小さな双手へと譲ってやれば、ふんふんとツンと尖った鼻先を突っ込みかねぬ勢いで寄せて見せる執着振り。そんな様子のかあいらしさにくすすと微笑いつつ、坊やを挟む格好で、傍らの空間へと腰掛けた七郎次、

 「不思議な子ですよね。喋れないのもネコだからでしょうか。」

 黄昏色を吸い、ますますのこと けぶるように光る金の綿毛に縁取られた頭へ、そぉっと手を載せたれば、んん?と素早く視線が来たが、いやいやと振り払われることはなく。むしろ、撫でて撫でてと言わんばかり、すべらかな頬をこちらへと寄せて来る。ミルクでしっとり濡れた口許や、長い睫毛が伏せられた陰を仄かに滲ます頬の白さも、何とも愛らしく。ついのこととて、青い双眸を伏し目がちにしての頬笑んで、小さな温みを愛おしむ七郎次のお顔の優しさへこそ、

 「いい構図だの。」

 本当は、得も言われぬ顔をした七郎次そのものへと声をかけたかったのだけれども。何だか大仰な気がしてそんな言い方へ逃げたところが、

 「お子が欲しゅうなりましたか?」

 すかさず、そんな可愛げのない言いようを返すところも相変わらず。初見な筈のこの子が異様なくらいに懐いたのを差しても“隠し子ですか?”というような聞き方をした彼であり。彼なりに何か思うところが無いでもないのではあろうけれど、今更そんな言いようへいちいち深慮なぞ挟むこともないとばかり、

 「お主との子ならな。」

 すぱり言い返して口角を上げ、くくと笑ったところ。途端に“え?”と鼻白み、馬鹿を仰有い…などと小声でもそもそ言い返すあたりが、鼻っ柱が強いようでもまだまだ青い七郎次であり。そんな笑えぬ言いようは取り合いませぬと言わんばかりの、澄ましたお顔になった彼だけれど。赤みを滲ますこの中にあってもそれと判るほど、耳朶まで赤く染まってしまっては、

 “何をかいわんやではないか。”

 自分には勿体ないほど、何でもこなせるし気も回る、働き者の美丈夫で。日頃は勘兵衛の秘書として、家作の登記や何やといった管理は元より、執筆活動への版権管理や交渉といったエージェントとしての役割までも、てきぱきこなす有能な近従であり。そしてそして…こんな話題へ頬染めるよな、割りない仲になったのはと、最初を辿れば彼がまだ学生だった頃じゃあなかったか。今でこそつけつけと口を利くようにもなって来たが、当時はもっと大人しい少年であり。彼の側にしてみれば“宗家の坊っちゃま”という立場にあった勘兵衛へ、子供なりの遠慮があってのことか、何かというと後込みしてしまっていたものだから。そんな彼へと手を差し伸べて、もそっとこっちへと引っ張り寄せてたその延長。いつもいつまでもと手をつないだままでいたれば、その手がいつしかしっとりと綺麗になってゆき、見やったお顔がどんどん嫋やかになってゆき。清冽で一途な眼差しに引き寄せられて、蜜を含んだ口許をそおとついばんだ とある花曇りの宵からは。特別な存在となってしまったお互いで。

  ―― 何度言えばいいのです、あれは七夕の晩でした。
      いいや、春だった。夜桜の下だったではないか。

 ……まあ、男の人は始まりのことはあんまり覚えてないって言いますしね。
(笑) 夏場なのに夜風があって、それでと寒がる私を見かねて、一つ布団で寝たのが初めでしょうに。いやいや、風が冷たい花寒の晩だったのでと寄り添い合っていてだな……

  「???」

 何だか妙な雲行きだなと、そこはさすがに気になったのか。紅色の瞳できょとんと見上げて来る幼い視線に、そちらさんでも気がついての我に返ると。ああいやいや何でもないぞ、そうですよぉ、喧嘩なんてしちゃあいませんて。白々しくも場を取り繕う大人が二人。仲がいいんだかどうなのか、痴話喧嘩でも喧嘩には違いないのだから、ほどほどにしませんとね?
(苦笑)






     ◇◇◇



 軽やかなベルの音で、タイマーが切れたことに気がつくより前に。やはり鼻が利いたらしい小さな和子が、完成間近いお料理が醸す薫香へ、か細い肩の上へ柔らかな髪の裾を散らし、辺りをキョロキョロと見回しまでして落ち着かなくなったので。
「さあ、それじゃあ晩ご飯にしましょうかね。」
 テーブルについてて下さいなと、颯爽と立ち上がった金絲のシェフ殿が、数分と掛からずにきっちり盛り付けて運んで来た晩餐の数々は。イカにエビにタコにホタテに、ムール貝も乗っかった、パプリカの赤と緑が華やかなトマト風味のパエリアと。ちぎりレタスにドレッシングと香ばしい茹で具合のポーチドエッグを潰し掛け、かりかりに揚げたクルトンをトッピングしたシーザーズサラダ。ダイニングとキッチンを往復しつつ炙ったアジの開きは、蔦子夫人のご実家からのいただきもので、実は勘兵衛の大好物であり。キッチンへ戻って一番に手をつけたらしきチキンは、全てを運び終えての向かい合ったオーブンにて、砂糖と醤油の甘辛な香をまとっての、それはジューシーな照り焼きに仕上がっており。片手間とまではいわないが、あるもの任せでそりゃあ手際よく、ここまでの支度をこなしてしまえるところは、そこいらの新米主婦よりよっぽど凄腕。

 「あ、勘兵衛様。その子にイカはやらないで下さいね。」
 「???」
 「調理して水が出たイカやタコは、犬猫は消化できなくてお腹壊すそうですよ?」
 「そうなのか?」

 玉ねぎ抜きの調理といい、ちゃんと考慮されたパエリアと。アジに鷄にと、同席するのが幼い仔猫だということをまずはと優先しているものの、それらは同時に、休暇になればまずはと御主が食べたがるメニューでもあり、

 「ああ、ほら。大人しくしないか。」

 席に着いた勘兵衛の膝へと当然顔で乗っかって来た小さな和子が、さっそくあ〜んとお口を開いたのは、さっきミルクをもらったその延長だと学習したかららしくって。それへと、エビだアジだと小さくちぎっては与える勘兵衛の様子もまた、なかなか様になっている。ふうふうと吹いて冷ましてやるやら、うまうまと奥歯でよーく咬んで味わっているのを よしよしと満足そうに目許を細めて見やる穏やかなお顔やら、

 「…。///////」

 見ているこちらまで腹とは別口のどこか、胸の奥底が幸せで満たされるほど、のほのほと温かい構図であり。こうまで子供に懐かれる勘兵衛というのがそもそも珍しかったせいもあろうし、

 「いかがした?」

 手を止めてまで見とれられては、さすがに気もつくというもので。ふうふうと吹いてる間だけは待てるようになった坊やへ、ほどよく冷ましたスープを飲ませてやりつつ、何か不審かと問う彼へ。いいえと苦笑混じりにかぶりを振って見せ、
「ただ、慣れてらっしゃるのが不思議で。」
 幼子で、しかも口を利かない相手。慣れがない身では手古摺って当然だろうにと、そんな存在を押しつけたことは棚に上げてのそんな言いようをすれば。
「犬猫には構いつけておったからの。」
 だから慣れてはいると、そんな理屈を持ち出す勘兵衛も勘兵衛ならば、ああそうでしたねと納得している七郎次もいい勝負であり。

 「お主だとて、小さい頃からさして怖がってはいなかっただろうが。」

 堅物そうなのは昔っから。それでの気が利いて見えぬ相手に閉口してか、若しくは むっつり黙しているばかりの雰囲気が怖くてのこと、寄って来ないのだろうよと、そういう機微は理解していたし、実際の話、寄って来られても構い方が判らぬと、彼の側でも故意に改めぬよう構えていたものが。親御に連れられて来るたび、親から言われるまでもなく、勘兵衛がいる書斎や私室へとおずおず訪のうていた彼でもあって。

 「遠慮はしつつもお話はしたいと、ややこしい懐き方をしておって。」

 そういえば、気弱だった訳じゃあなかったのだなと、今になっての思い起こしておいでの御主へ、
「そりゃあもう。」
 ふふんとにこやかに笑った美貌の君が続けて言うのが、

 「何しろ一目惚れの君でしたからねぇvv」
 「…おいおい。」

 嘘や方便なんかじゃあなくの本当に、気難しいお方かもと思ったことはあっても、おっかないと思ったことはない。

 「その子だって、まずは勘兵衛様へと寄りついたのですよ?
  それって、理屈抜きのお人柄が優れておいでだからじゃあないですか。」

 要領のいい理屈や愛想に言いくるめられた訳じゃあない。お顔や視線に滲んでいた実直さや誠実さ、人性を率直に嗅ぎ取ってのこと、すんなりと引き寄せられたに違いなく。不思議な和子だと判れば尚更に、そんな存在まで惹き寄せる御主であることが、妙な話、ちょっぴり誇らしかったりするほどで。

 “お髭はさすがになかったなぁ。”

 確かもう大学生でおわした御主は、だが、髪も今ほど伸ばしてはおらず。すっきりとうなじや襟足が見えていたはずと、妙なところをまずは思い出す。第一印象は、沈着冷静な物腰をした、いかにも秀才という佇まい。凛々しいけれど折り目正しく、温厚誠実というお人柄のみが、それはそれは頼もしくって。恐縮し切ってた幼い自分へと、慣れぬことだろにそりゃあ柔らかく接して下さって。

  ところが。

 そんなお兄様が、剣道も合気道の組み手でも、当時の七郎次が師事していた先生方を軒並み蹴手繰るほどにお強い方でもあり。親御の手前か、文学書だけが友達の文人ですと納まり返っていながら、その実、したたかな老獪さまで備えた立派な
(?)“もののふ”だったのへ、あっと言う間に魅せられた七郎次もまた、今にして思えば…結構変わった思考の子供であったのかも?

  ―― 何か可笑しいか?
     いいえ。思い出し笑いです、お気になさらず。

 会話を挟みつつ、まったりと食を進める大人たちとは違って、子供の食欲は案外と早く満たされてしまうもの。そして、お腹が膨れると眸に糸が張るのは猫でも同じであるらしく。口許へと差し出された匙にも関心を向けず、凭れていた勘兵衛の懐ろへ、頬をうにむに擦り付けていた坊やだったが、

 「…お?」

 多少なりとも身動きをする“枕”の安定が悪いのが落ち着けないか。お膝からすとんと降り立つと、広々としたダイニングの一角、すっかり傾きかけている秋の夕陽に照らされた庭が背後に望める窓辺へと とぽとぽと歩んでゆき、足元へと敷かれてあったファーのラグの上へへたりと座り込む。
「寒くないですかね。」
「あの辺りならば、昼間のうちに うんと暖められておろうから。」
 問題はなかろうと、それでも揃って見やっておれば。正座を崩したような座り方の脚の間に、尻を落とし込むような格好でいた小さな背中が。しばらくはあちこち眺めやっていたそのまま、ふしゅしゅんと萎えてラグの上へ丸まってしまった様が、何とも愛らしく。

 「そうそう、猫というと夜型で夜歩きするんじゃなかったですかね。」
 「まだあんな子供でもか?」

 それはなかろうと流そうとする勘兵衛だったが、
「ですが、一人でいた和子ですからね。夜歩きまではしないまでも、親御が探しに来るやもしれません。」
「そうか、それはあるやも知れぬな。」
 フォークを止めて、やっとの同意。

 「猫用の入り口はなかったですね。」
 「裏口を薄く開けておけばよかろう。」

 なに不審者が入って来てもお主がおれば百人力だ。くすすと微笑って見せたその笑顔の、柔らかさへと、

  「〜〜〜。//////////」
  「いかがした?」

 いえね、あのその。十一月に入れば、年末進行の兼ね合いで早まった締め切りの第一波が、まずはやって来ますのを思い出しまして。連載の幻想ファクトリー以外に何か契約があったかな? 岡本先生がイラスト集を出されるって話があったでしょう? それへと挿絵を担当していただいた『Q氏の幻奇行』の短編をって依頼が来てます。ああ、そうだったの…と。せっかくの休暇に入ったばかりだってのに、そんなつや消しな話題を振ったのも、何か話してないと落ち着けないような、そんな気がしてしまったからで。そんな気分を誘った原因、同じ空間に幼い和子がいるというのに、ちょっぴり伏し目がちの、味な眸をした御主が悪いと、

 「〜〜〜。/////////」

 スープを飲むためと俯いて、こそり、頬を赤らめた七郎次。どんなに背伸びをしたっても、つけつけした物言いで見事やり込めてしまえても。その深色の目許を細め、微笑ましいというお顔をされてしまうと、たちまち太刀打ちできなくなるのだから、

 “根の部分はちっとも成長してないまんま、か。///////”

 ああ、耳の底で、今朝方どこかから聞こえてた、古い女性ボーカルの歌声がふと蘇る。か細い声が切々と、添えない人への悲恋を紡いでいたのへと、妙に感じ入ってしまったことまでも。ちくり思い出してしまい、遣る瀬なくなってしまったことまでも……。





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  *ウチの勘七はどこまで行ってもこんな感じです。(それを言っちゃあ…) 笑